南方版「なぜオキニを作ら(れ)ないのか、真剣に考えてみた」 - 名無しさん(ID:82189)の風俗コラム |口コミ風俗情報局

風俗コラム『南方版「なぜオキニを作ら(れ)ないのか、真剣に考えてみた」』
タイトル南方版「なぜオキニを作ら(れ)ないのか、真剣に考えてみた」
投稿者名無しさん(ID:82189)
投稿日2019年12月24日
『南方版「なぜオキニを作ら(れ)ないのか、真剣に考えてみた」』
私が5月に風活を開始した今年も、残すところ僅かになりました。
風活して初めて知った言葉に、「オキニ」があります。
本サイトのFQAに、オキニとは「何度も指名してしまうお気に入りの女の子のことです。」とあります。

私も複数回指名したキャストはいます。最多の人は4回で、初めてヌキ系の風活で相手をしてくれた人です。
しかし、この人を含めて、本指名をしたキャストをオキニと呼ぶことに、何か違和感を感じてしまいます。
そこで、自分にとって、オキニとはどういう存在なのか、考えてみました。

なお、言わずもがなですが、性に関する嗜好は千差万別、十人十色で、こうあらねばならないということはありません。従って、他の方の嗜好がいかに自分のものとかけ離れていようと、奇異な目で見たり、いわんや、批判したりする意図は全くありません。

さて、オキニにまつわる話題は、この風俗コラムでもしばしば取り上げられています。過去1年間のコラムをざっと見ても、何十回・何十年と馴染んだオキニ、オキニが多過ぎる悩み、オキニ・ロス、オキニに関する体験談の評価等々、とても多く、捉え方も色々です。

その中で、私が最も共感したのは、本年9月に掲載された、Dr.SEXさんの『なぜオキニを作ら(れ)ないのか、真剣に考えてみた♂』です。
※勝手に表題を拝借しました。先生にはこの場を借りて、御礼申し上げます。

この中で、先生は、オキニがいない理由をいくつか挙げています。筆頭に挙げておられる理由以外は、性体験の積み重ねが私とは隔絶していおられるので、私とは無縁です。
筆頭に挙げておられる理由とは、「根本的に飽き症」というものです。これには、私も大いに心当たりがあります。

以下、私が「なぜオキニを作ら(れ)ないのか」をまとめてみました。

(1)同じキャストをいつまで指名するか、まるで自信がない

これは、フィギュアスケートの競技会と似ています。フィギュアスケートでは、選手が一人ずつ順番に演技し、その都度点数が表示されます。順位も示されますが、最後の選手の点数が出るまで、順位はあくまで暫定です。

これと同じで、良いキャストだと思っても、もっと自分に合うキャストが出現するかもしれないと考えると、そのキャストをオキニと呼べるのか迷います。しかも、風活の場合は、最終演技選手は決まっていません。

先に述べた4回のキャストですが、今年中には再訪しようと計画していました。しかし、思い掛けなく、同業態・同年齢帯の別店のキャストに魅せらてすぐに裏を返したため、多分今年中の再訪は無理でしょう。あるいは、そのまま行かなくなるかも知れません。

ただし、当サイトの先輩諸氏のように、様々な風活経験を積み、キャストに関する膨大な情報のデータベースを頭の中にお持ちの方は、未知のキャストに出合っても、的確な評価を下すことができるものと推測します。

(2)熱しやすく冷めやすい

これは多分、先生の挙げておられる「根本的に飽き症」と同じだと思います。
私ばかりではなく、世の男性にはある程度共通していると思いますが、ある一人の女性から得られる性的な「快」の量は、時間の経過とともに、次のように変化すると思われます。

出合い、肌を合わせた時点で相当高く、その後急増し、やがて最高点に達します。その後、緩やかか急激かは場合に拠りますが、漸減していきます。
漸減していくことを、性経済学では、「限界効用逓減の法則」と呼びます。(←ウソです)

この典型が、配偶者です。長年一緒に暮らしていると、たとえ裸で傍にいたとしても、力士がいるのと同じで、性的興奮は感じなくなります。
ただし、性的なものと愛情とは全くもって別物です。ちなみに、私は今も変わらず、愚妻を深く愛しております。万一家族バレした場合に備えて、ここに厳かに宣言します。

しかし、同じキャストに何十回、何十年と通っておられる方もいるので、上記の法則がすべての男性に当てはまるわけではありません。

(3)義務感に縛られたくない

馴染みになってくると、定期的に通ってあげなければ、という義務感のようなものが出てくるように思います。本当に通いたければ問題はありません。
しかし、心のどこかに、本当は新しいキャストを開拓したいという気持ちがあれば、それに素直に従うべきだろうと思います。

(4)割り切り

出合いカフェではありません。キャストとの関係は、契約時間限りの疑似恋人だと思っています。
もちろん、利用予約をすれば、その日が来るのは待ち遠しいし、メッセージのやり取りをすることもあります。しかし、お金を払って性的サービスを求める客と、仕事として性的サービスを提供するキャストという関係以上のものは求めません。
私はキャストにとって、あくまで大勢いるお客の一人に過ぎません。
せいぜい、キャストに嫌われないよう心がけるくらいです。

それ以上のものを求めると、多くの場合、お互いが不幸になるのではないかと思います。現に、某風俗QAサイトなどには、その点を勘違いした男性からの相談が、結構多く寄せられています。

しかし、これにも例外はあり、当サイトのコラムなどで、単なる客とキャストの関係以上の信頼関係や絆を築いておられる方もいます。

(5)好奇心

あるAV男優が、性欲の基に存在するものの一つは好奇心だ、というような趣旨の発言をしていましたが、そのとおりだと思います。
男にとって女性というものは、いつまでも好奇心をくすぐる、永遠の謎かもしれません。

私は幼いころ、いわゆる昆虫少年でした。当時は東京郊外にも、原っぱのような空き地や雑木林が結構多く残されていました。図鑑で調べては、昆虫採集をしたり、飼育したりしていました。
カブトムシやクワガタなど、男の子に人気のある種類はもちろんですが、人家の床下でコオロギ(エンマコウロギ、スズムシ、ミツカドコオロギ、オカメコオロギ、ツヅレサセコオロギ、カンタン等々)を捕まえたり、墓場でクモ(ジグモ、ゴミグモ、ジョロウグモ、オニグモ、タナグモ、コガネグモ等々)を捕まえたりしていました。

こうした好奇心は、対象は人によって異なりますが、多かれ少なかれ、少年には共通しているように思います。皆さまも、恐竜、怪獣、自動車、電車、飛行機といったものに興味をもって、調べたり、模型を作ったりしたご記憶があるかと思います。

長年の会社勤めを終え、少年時代の好奇心・探求心が再燃しました。そして、ふとしたきっかけから風活を知り、その魅力に引き込まれました。風活そのものに飽きるか、性欲が枯渇するまでの間、探求してみようと思ったわけです。

少年時代、仮に昆虫に没頭し、ずっと探求を継続していれば、あるいは研究者にでもなっていたかも知れません。しかし、悲しいかな、そのような粘着性、継続性はなく、興味の対象は次々と移り変わってしまいました。

それは今も変わらず、一人のキャストに何回かお付き合いいただけば、別の新たな対象を求めて、少年のように探索を始めます。
こうした気まぐれや飽きっぽさが許され、後腐れがない点も、風俗の良さの一つだと思います。

こうして振り返ると、好奇心の対象が、ごく小さな昆虫から、生身の女性に変わったわけです。私も少しは進歩したということかもしれません。もっとも、虫でもキャストでも、オキニなしという点では少年のころと何ら変わっていません。

すみません。虫とキャストを同列に論じること自体、キャストに失礼ですね。

最後まで駄文にお付き合いいただき、有難うございました!
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