タイトル | 「高齢者」風活事始め(3) ~風俗嬢は聖母なのか?~ |
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投稿者 | 名無しさん(ID:82189) |
投稿日 | 2019年07月06日 |
『「高齢者」風活事始め(3) ~風俗嬢は聖母なのか?~』 小生の風活も3か月目に入りました。 先輩諸氏からは、駆け出しが、何を分かった風なことを言っておるのかと、お叱りを受けそうですが、最近感じたことを率直に述べたいと思います。 ごく最近、あるホテル型ヘルスを利用しました。そこは2回目の利用で、姫は本指名でした。結果は、とても満足のいくものでした。 ところで、その姫は、こまめに写メ日記をアップしており、お客に対する感謝の写メ日記も欠かしません。小生についても、その日のうちにアップしてくれました。 姫の写メ日記の文章は、最近の女の子風のもので、あまり長くはないのですが、小生が見るところ、簡にして要を得て中々良い文書であり、人柄が滲み出ているような気もします。 そこで、小生に対する感謝の写メ日記ですが、文中に次のような主旨の部分があります。 「失礼だったら御免なさい。○○さん、プレイ中無邪気で可愛くて、癒されました」 小生は、「失礼」どころか、とても嬉しく感じました。 60代後半のジジイが、二十歳そこそこの娘から、「無邪気で可愛い」と言われることなど、風俗の世界以外では、まず、ありえないでしょう。 まあ、営業トークも入っているかもしれませんが(もっとも、この姫は、若いし、あまりお世辞を言える人柄でもないと思われます)、それにしても、こういう表現を選んだということは、何かしら、そういうことを感じたからでしょう。 ここからは少し飛躍して、小生の想像になりますが、「無邪気」や「可愛い」という言葉は、多くは赤ちゃんや小さな子供に対して使われます。そして、母にとって、自分の赤ちゃんや子どもは、特に無邪気で可愛いものです。 ということは、姫は小生を前にして、何らかの「母性」を感じたのではないか、と言っても、あながち的外れではないと思われます。 「ジジイに対する母性」というと、いかにも珍妙に聞こえますが、素っ裸で、ともすると萎えそうな珍々に振り回され、何とか発射しようと悪戦苦闘する姿、あるいは、どこかで仕入れた性技の知識を試そうと、「ここをこうすると、どうかな?」などと探求している姿、こうしたものに、無邪気さや可愛さを感じてくれたのかもしれません。 裸で対面すれば、肩書・経歴・力など、男が日頃身に付けている「装甲」はおのずと外れ、自分の弱みもさらけ出すことになります。そうした男を、姫は暖かく受け入れてくれるのです。これは一種の母性ではないでしょうか。 そして、母が赤ちゃんの無邪気で可愛い姿から癒しを受けるように、姫=母は、男の無邪気で可愛い姿を見て、逆に癒される、ということかもしれません。 相当昔の曲ですが、岩崎宏美が歌った『聖母(マドンナ)たちのララバイ』では、男はみな「傷を負った戦士」だと言っていました。そして、自分は生まれ変わって母となり、あなたを守りたい。だから、今は子供のようにこの胸で眠りなさい、といった歌だったように記憶しています。 「傷を負った戦士」などと言うと、ちょっとかっこ良すぎますが、風俗通いをする男の多くは、単に性欲を発散するだけではなく、癒しも求めているのではないでしょうか。姫=聖母(マドンナ)による癒しを。 だとすると、いくらAVやVR、あるいはオナニー器具の技術が発達したとしても、生身の聖母には絶対にとって代わることはできないでしょう。 小生も、さらに聖母探しの旅を続けたいと思います。 | |
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