富山県の秘境にソープランドができた・・・かも知れないお話 - nognogの風俗コラム |口コミ風俗情報局

風俗コラム『富山県の秘境にソープランドができた・・・かも知れないお話』
タイトル富山県の秘境にソープランドができた・・・かも知れないお話
投稿者nognog
投稿日2018年04月18日
『富山県の秘境にソープランドができた・・・かも知れないお話』
今回はいつもと少しだけ違って「夢の跡」について触れてみたいと思います。

【注】「トルコ風呂」だった当時のお話が入っていますが、便宜上「ソープランド」で統一させていただきます。

皆さんもご存知かと思いますが、ソープランドの新規開業は札幌(すすきの)・水戸・那覇(辻)などごく一部の地域を除きできなくなっています。これは各都道府県の条例により出店禁止区域が定められていることが理由で、中には県全域を出店禁止区域に設定しているところもあります。

#出店可能区域でも学校などの付近は禁止され、事実上全域で不可能な都道府県もあります。

ソープランドが全くない府県もいくつかあり、北陸の富山県もその一つです。ところが富山県の条例を見ると少々不思議なことになっています。

出店可能区域:南砺市の国道156号の両側の路端 - 700m以外の利賀村北原・長崎・大牧・下原・栃原・新山区域と、富山市、高岡市、魚津市、氷見市、滑川市、黒部市、砺波市、小矢部市、射水市、中新川郡、下新川郡以外の地域

分かりにくいので要約すると。基本的に県内全域で出店は禁止だが「南砺市利賀村」のうち国道156号線から700m以内については可能、となっているのです。なぜ南砺市利賀村が禁止区域ではないのか、ここに秘められた夢と挫折の歴史を少しだけご紹介したいと思います。


[南砺市利賀村ってどこですか?]
「なんとし とがむら」と読みます。富山県の南東部、岐阜県と県境を接する山の中にあるのが利賀村です。かつては「東礪波郡利賀村」という単独の村でした。

この利賀村から近い大きな町は北陸新幹線の駅がある高岡市ですが、30kmほど離れており車で1時間走っても着きません。北陸道の砺波ICからも15kmほどあります。

林業くらいしか産業がなく、冬には3~4mの雪で閉ざされるなどはっきり言って辺鄙な山の中の村です。


[村おこしのためにソープランドを呼ぼう!!]
そんな利賀村、早くも昭和40年代には過疎化や人口減少で村の先行きが怪しくなります(1947年には4,200人だったが1975年には1,500人に減少)。あまりにも不便な山の中で工場を誘致しても断られ、目立った観光資源がないため観光客も期待できず行き詰まりは誰の目にも明らかでした。

そんな利賀村を何とかしようと村長が思いついた奇策が「村おこしでソープランド誘致しよう」というものだったのです。

何と突拍子もない、と考えるかも知れませんが、戦後に突然畑の中から温泉が湧いた山梨の石和温泉はソープランドやストリップを誘致し歓楽温泉として賑わいましたし、琵琶湖岸の寂れた温泉地だった雄琴もこの頃にはソープランドが並び始めていました。今の雄琴は「京都でできないことができる」奥座敷となっており、これらの成功を考えれば無謀な話ではなかったと思われます。

村では風紀を考えて国道156号線沿いの既に廃村となった場所に用地を確保、近くにある山の名前に因んで「八乙女温泉郷」とする予定だったみたいです。八乙女山の南南東にあたる156号線沿いに明らかに整地された用地があることが分かりますが、どうやら2地区にそれぞれ数軒分の広さが確保されていたようです。


[なぜ八乙女温泉郷は挫折したのか]
しかしながら一旦は説き伏せた住民が「やはり不安」と反対し始めます。昭和50年代になるとソープの新規開業は住民の反対運動により全国的に厳しくなっており、長野県でも建物がほぼ完成したのに反対運動で開店を断念するケースが出ています。

八乙女温泉郷も反対の声が強まり最終的に挫折してしまいました。利賀村の場合あと5年早く計画されていれば実現したのではないかとも言われています。

このように計画は挫折しましたが、その後も利賀村は例外的に営業可能区域に指定されたまま現在に至っており、かつて計画があったことを今に伝えています。

利賀村はその後も様々な村おこしを行ったものの地理的なハンデを克服できずに人口が減り続け、周辺の町や村と合併して南砺市となる時点では人口850人まで減っていたそうです。八乙女温泉郷として確保された用地は一時スキー場や牧場となりましたが、のちに閉鎖され現在は何も使われないまま夢の跡として残されています。


[もし八乙女温泉郷が開業していたら・・・]
歴史に「もし」はありませんが、もし利賀村に八乙女温泉郷が開業していたらどうなっていたでしょうか?

もちろん求人をかけても女の子は全く集まりません。恐らくは寮完備で出稼ぎの子を集めるしかなかったはずです。

周囲に民家はほとんどなく、バスも1日2本だけ(当時)でしたので送迎が必要だったでしょう。しかし送迎するにも高岡まで1時間以上と遠く、下手したら往復の送迎時間の方がコースの時間より長い、というあり得ないことになっていたと思われます。3km圏にいくつか温泉宿がありますのでそこから団体さんを送迎する、ということを考えていたのかも知れません。

確かに1970年代なら会社の慰安会など団体旅行が盛んでしたが、バブルが崩壊すると国内の団体旅行は下火となり個人客にシフトしましたのでどこかで成り立たなくなったと考えられます。仮に八乙女温泉郷が開業したとしてもその後の変化に対応できず2010年より前に消えていたのではないかと思われます。

村の生き残りのため大まじめにソープの誘致を考えた村があった、ちょっとおかしくてちょっと悲しいお話でした。
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